2001-03-27 第151回国会 参議院 経済産業委員会 第4号
だから、通産省というのは野人の集まりみたいなものでバイタリティーを持っているわけですから、思い切って振りかざしてやってみられたらどうか。 今の東南アジア諸国に与える影響等を考えた場合の構造改革に対してはどう思われますか。
だから、通産省というのは野人の集まりみたいなものでバイタリティーを持っているわけですから、思い切って振りかざしてやってみられたらどうか。 今の東南アジア諸国に与える影響等を考えた場合の構造改革に対してはどう思われますか。
私、野党としての質問は長年やらせていただきましたが、与党としての質問は初めてでございますので、野人礼に習わず、あるいは失礼にわたる段があるかと思いますが、御容赦をお願い申し上げておきたいと思います。
ちなみに私は野人ですが。 総理、多分、凡人というのは総理のことを指していると思うのですが、そう表現されたときにどういうふうな印象を持たれたか、まずお尋ねしたいと思います。
私は野人で、そういうことを申し上げて恐縮でありますが、心ある社会の人々にそういうことを訴えて、何もあなたが会長にならぬで結構です、違反になったら困りますから。私が申しておりますのは、そういう形での国家的な補償とかなんとかという側面よりも、やっぱり社会的な善意に対しては善意に報いるというそういうこともあってもいいんじゃないか、こういうことでございますので、お許しをいただきたいと存じます。
私は残念ながら野人でありますので、ややお聞き苦しい、耳ざわりなことがあるかもしれませんけれども、お許しをいただきたいと思います。 私は、この法案提案の背景、そしてまたこの経緯も承知いたしております。自動車時代に入り、大変便利になった反面、しかし、交通戦争と言われるような交通事故、事故死が急増をする。
田名部さんはもっと野人だと思う。こういう細かいことをやって反対をしにくいようなことをしながら、片っ方は減らしていくというようなやり方については、どうも私たちは合点がいかぬ、納得がいかぬ。この施設園芸とか果樹の足切りとかあるいはビートの問題とか、そういう問題はいいとして、米はもとどおりにしたらどうですか。
あなたが一介の野人ならいいんですよ、何を言われても結構です。だけど、郵政大臣となった限りはそうはいかないということわかりませんか。例えば、郵政従業員三十万いますわな。この職員の人たちは国家公務員ですから、国家公務員法から、郵便やってる人は郵便法から、貯金法から、全部その法律のもとに、人事院規則から、そういう規則の中で職場で仕事してるわけですよ。 例えば、私どもは過去スト権禁止されました。
だから、さっきから言うように、あなたが一野人なら何言ってもいいの。だけれども、郵政大臣になれば、自分がおのずとどこをどうすべきかということを考えなきゃ、そうでしょう。あなたの言い方をしたら、郵政審議委員というのはみんな間違ったのはやめなきゃいかぬな。あるいは大臣が間違ったら、大臣がやめなきゃいかぬな。 衆議院のやつを読んだら、あなたは何かいろいろ経営形態の問題もいろいろ聞くと答弁していますな。
○渡辺(美)国務大臣 言ったかもしらぬし言わなかったかもしらぬし、よく記憶にありませんが、一介の野人政治家としてあるいは言ったと言われれば言ったのかなという程度で、余り品のいい発言じゃないので、もっと上手な言い回しがあったものをと、今になれば反省をいたしております。
ちょっとこんなことを国会の先生方に申し上げたのじゃ失礼なのでしょうけれども、野人でございますので勘弁していただきたいのですが、少し投票人の顔色を見過ぎている感じがするのですね。そうじゃなしに、先生方の信念として、国家はこうあるべきだという線で私は突っ走っていっていただきたいなと思っております。
私は、もとより野人であり、微力非才の身ではありますが、その分をわきまえ、土屋議長の補佐役として、公正無私を旨として誠心誠意職務を全うする所存でございます。 皆様方の御支援、御指導を賜りますよう切にお願い申し上げまして、簡単ではございますが、就任のごあいさつとさせていただきます。(拍手)
両省とも信頼していいんじゃなかろうか、優秀な官僚ですから信頼していいんだろうが、ただ我々野人から見ますと、すばらしい官僚ではあっても、予算とか権限に関してはもうなりふり構わずという、私はいつも愚かなことよと思って見ておりますが、そういうばかなことはしないと思います。
○上田(哲)委員 御信頼をいただくために先ほどの前提に戻りたいのですが、まあそれはおくとして、真水なのかどうかというのは、野人通産大臣としてはなかなかいい表現だとお返ししておきます。そういう真水でなきゃ……。
内外の軍事問題あるいは国際問題についての評論活動をしている一介の野人でしかございませんけれども、そういう仕事柄、国会の審議あるいは国会で取り上げられている案件などについては、一般の国民よりも多少なりとも関心を寄せてウォッチをしておるという立場にございますが、その私にしてからが、うかつといえばうかつだというふうに御批判いただくかもしれませんが。
彼のような一種の野人にとってみればなおさら強く感じられるところでしょうが、私でもやはりそれは少ないような感じがするのですね。建物だってこのごろうるさくなりまして、東京で家を建てるときに、冬至のときに何時間日が当たらなかったら建てさせないというような日照権があるのですから、人間は生きているから何とかなるだろうということでこれは済まないので、建物より人間の方が大事です。
、私は、政府部内でいろいろ相談をしたとき、その院長が本当にそういう悪い者であればと、悪いという前提で、悪い者であればそれは首にできないのかという、私のこれからのこれに対する処して行き方の一つの参考として、部内で意見を聞いたとき、今厚生大臣としてはそういう権限はないということをレクチャーされた、こういう意味でございまして、やっぱり行政官というものは法律の枠の中で仕事をしているわけでありますから、我々野人
が、言うなれば、私も野人でございますが、大蔵省のやかたの中へ入った者と、それを大衆の中から見ておられるのとの若干の考え方の違い、基調は余り変わらなくても、あらわれるところの違いというものを、巧みにといいますか、痛烈に御批判いただいておるという認識を自分も持たなければならぬなと、そういう感じでございます。
われわれは総理大臣や外務大臣になっていないで、野人だから勝手なことを言えるんじゃないかという野人の楽しみを満喫しておるわけでありますけれども、それを満喫している間に日本の国が滅びてしまっちゃどうしようもないと思うから、やはり自分のふるさとを愛し、祖国に対して責任を持つ政治家というものが、われわれでなくてもいいからだれか出てこないと、いまのままだと権力と金に弱い奴隷の外交です。
歴代の法制局長官にはさまざまなニュアンス、持ち味があって、真田さんにはやや野人的なところ、高辻さんには冷たさがあって、そしてあなたは正確さが私はあると思うんだが、非常に結構ですけれども、私によれば、にもかかわらずこの第二十条の表現は、裁判官と検察官のところは馬から落ちて落馬するのたぐいですよ、これ。馬から落ちて落馬したる際はというあれに等しい、重複で。あとは足りない。
退職金とか退職手当を、まさに江戸時代のしにせののれん分けじゃないけれども、のれん分けの伝統に由来するという、同じ民法学者でもなかなか厳粛主義をとらないあの方らしい野人味あふるる日本語だろうと思うんだが、私はこれはうがっていると思うんです。 ところが喜ぶのはまだ早いんで、現在の国家公務員の退職手当法というのは、私はずばり申し上げてそんなに近代化されていない、すっきりしてないと。
ただ、御理解をいただきたいことは、役所でございますから、そして私は政党育ちのいわば俗に言う野人でございます。表現の仕方が多少違うと思う。役所というものは、もう先生御承知のとおり、間違いのないことを言わなきゃならぬ。そしてもし言い出したことはあれは間違いでございましたというようなことは、絶対ないわけではないでしょうけれども、そういうことがあったんでは大混乱を起こします。